と言う事で、
前回はボークについての説明をや解説をしたので、今回は
今までのプロ野球 、高校野球史の中でどんなボーク事件があったのかをご紹介していきたいと思います!
ボークの説明や解説の記事はこちら⇒野球のボークとは?牽制時や偽投の判定基準やどうなのかなどを解説!
と言う事で、早速!
甲子園でまさかのサヨナラボーク!?
この悲劇が起こったのは1998年の夏の甲子園大会第2回戦だった・・・
東愛知代表の豊田大谷高校と山口県代表の宇部商業の試合、
その日の第二試合としてお昼の12時ごろに試合開始された。
先行の宇部商業が中盤に相手のエラーなども絡め5回6回と1点ずつ取り先制した。
そして、負けじと豊田大谷高校も2点目を取られた6回に裏の攻撃で反撃し1点を返した。
しかし、お互い追加点を取ることが出来ず、迎えた9回裏2アウト1塁3塁。
宇部商業はあと1アウトで勝利。豊田大谷高校にとっては1塁に逆転のランナーがいる場面。
ここで、あっさり終わらないのが甲子園。
”甲子園には魔物が潜んいる”
なんて事も言われますが、まさにそんな試合になりました。
この状況で、豊田大谷高校は”重盗”をしかけました。
すると、ベースカバーにはいった2塁手が悪送球し土壇場で同点に追いつきました。
そして、ここからが長く、真夏の甲子園でお互い1点も譲ることなく、
迎えた、延長15回の裏。豊田大谷高校の攻撃。
安打とエラーと敬遠四球で無死満塁のチャンスを作った。
そして、迎えた、豊田大谷高校の7番打者、持田泰樹選手への1ボール2ストライク
と追い込み、その日の”211球目”を投げようとセットポジションに入り投球動作を開始していたが、
前に出していた腕を後ろに戻してしまい、それを見逃さなかった球審が、
”投球動作を中断した”
と判定しボークに。
同点で延長戦の裏の攻撃、満塁だったため、
甲子園史上初の
”サヨナラボーク”
となってしまった。
という、宇部商業にとっては、夢の舞台甲子園でなんとも悲しい負け方になってしまったわけですが、
後に、サヨナラボークをしてしまった宇部商業の投手は「何も覚えていない」「記憶がない」
と語っているので、暑さや披露で満身創痍だったのだと思います。
想像しただけでも頭がクラクラしてきますが、まさに”力尽きた”という感じだったんですかね。
ただ、その試合を、一人で判定し続け、最後まで冷静な判断をした球審もすばらしいですね!
プロ野球でボーク事件は?
こちらはボークで試合が決まってしまった。と言う訳ではないが、
1990年 西武対ロッテの試合で、当時のロッテの監督金田正一氏が自軍投手のボーク判定に
激怒し抗議した。
球審につめより、叩いたり、暴言を吐いたり、当たりはしなかったがケリを入れようとしている場面も・・・
そんなに激高した理由は、相手チームのコーチが、
「ボークだ!ボークだ!」
と言ったから審判がボーク判定にしたんじゃないか!?
と言う事らしいのですが、動画を見る限りでは明らかにボークで相手チームに言われなくてもわかるんじゃないかと思うのですが・・・(笑)
結局、金田監督は罰金100万円と30日間の出場停止という処分になったそうです。
しかも、金田監督から攻撃、口撃?を受けた球審はその後、辞めてしまったんだとか。
審判も大変ですね・・・
ボーク回数の珍記録!?
プロ野球でもボークを取られてしまう場面は多々見られますが、その中でも多いのは”外国人選手”です。
ボークの判定基準が審判による判断に委ねられていますし、日本と外国のボークの判定の違い、
言葉による説明の不充分さもあってだと思いますが、近年、
”1試合の最多ボーク記録”
と言う珍記録が誕生してしまいました。
2007年に楽天のドミンゴ・グスマン投手が1イニング3ボーク(タイ記録)と1試合4ボークの最多記録を作ってしまいました。
さらに、降板時には3塁塁審に中指を立て退場に・・・
これは、外国人投手とはいえども、ちょっと呆れてしまうプレーですね。
出典 テキスト速報
まとめ
ボークに限らず審判の判定1つで試合の流れが大きく変わってします事は多くありますが、特にボーク判定は”無意識”
にやってしまうことがほとんどだと思いますし、審判の判定基準や国によっても変わってくるので、難しい所ですね。
しかし、だからと言って暴力や侮辱行為をして良い訳ではないので、そこら辺は冷静にプレイしてほしいですね!
プロ野球のいろいろな記録に関するまとめはこちら
⇒プロ野球のいろいろな記録についてのまとめ!記録からわかる意外な事実は?
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